11月18日(土) 土木の日、著作権の日、雨のちくもり
色々な節目の日には、自ら洗濯し、洗濯物を干しながら、人生の選択について、考えることにしております。
そこで、今日は、いつも座右の銘の様に、名刺入れの中に忍ばせています『西郷南洲道訓』をじっくり読み返したので、皆様にもご紹介します。
『命もいらず 名もいらず 官位もいらず 金もいらぬ と言う人は始末に困る。
だが、この始末の困る人でなくては大事は出来ない。
なぜなら、こういう人は ただ単に無慾と言うだけでなく、日々道を行っているからだ。
正しい道を歩き続けているからこそ 自信があって、何もいらぬと言えるのである。』(西郷南洲道訓より)
鹿児島の郷中教育を受け、活躍された西郷南洲先生、大久保利通公、大山巌元帥、東郷平八郎司令長官、山本権兵衛首相などは、皆、鹿児島県鍛冶屋町のごく狭い範囲の地域から輩出されているということを、改めて知る機会を得て、そのヒントを感じましたが、まだまだ、自らの修行の足りなさを痛感した次第です。