2月19日(金) 雛人形飾り付けの日、晴れのちくもり
朝一で始業前の高雄市瑞祥高校を訪問。生徒会役員の生徒さんが、大分へ修学旅行で来県されることが決まっている5高校校長先生との情報交換の会議室へご案内して頂いた。実に規律・礼儀正しく、驚かされた。
また、クラスと学籍番号が制服に表記されていたが、学籍番号は成績順番号と聞いて、ビックリ、ポン!
限られた時間の中で、昨晩の交流懇談会でやり取りしていた修学旅行の内容について、プログラムや行き先、内容などのリクエストを聞き、充分な準備を進める約束をした。今回は、教育委員会幹部と受け入れ高校代表校長も同行して頂いたので、成果が直ちに出そうだ。
大歓迎の高校を後にして、台湾政府の文部科学省に当たる教育部のある台中に向かった。
途中、台湾農業や産業の近代化に大きな貢献を果たした烏山頭ダムを視察。この建設の監督をされた八田與一さんを支えた技師中嶋力男氏は大分県宇佐の出身。その記念碑にも足を運んだ。現在建設・改修中の大分川ダムや大蘇ダム、或いは稲葉ダムや玉来ダムにも想いを馳せた。海外の地に於いて、県出身者の功績に触れることは、大分県人としての「誇り」である。今後、高校生の相互交流が始まれば、大分の高校生たちも先人の偉業に触れ、何かを感じる機会となればいい。
途中、農家レストランの様な所で、昼食。台湾の農家家庭料理はとても美味しかった。
昼食後、台中の台湾教育部及学前教育署を表敬訪問。台中に立地していることに、まず、ビックリ、ポン!政府機関の地方移転もこうあって欲しい。また、同じ敷地内に、国立交響楽団もあり、そのコンサートホールも立地していた。
ここで、教育旅行としての修学旅行などの台湾全体のキーマンとお会いさせて頂いた。旅行業務を委託している会社の社長も同席頂き、情報交換した。是非、充分な資料を準備して、お互いに時間をかけて交流を前進させたいと考えが一致した。
まずは、交流締結を基本とし、3年ほどその交流実績を築きあげ、姉妹校となり、永くづづけられるようにステップアップしたいとのこと。高雄市の5校が拡がるかどうかのカギも握っていそうだった。それには、大分の県立高校の国際交流方針見直しも必要。その為の予算や同窓会及びPTA、ロータリークラブやライオンズクラブのようなボランティア団体など、持続可能な資金調達等の仕組みも含めた覚悟と準備が学校にも求められる。大きな宿題となった。その宿題を解いて、またお会いすることを約束した。
その後、台中から台北へ移動。移動は、台湾新幹線。日本の700系新幹線。外の風景も日本国内を走っているように感じた。
夕方、日本の外務省に当たる外交部亜東関係協会を表敬訪問。今回の修学旅行の受け入れなどのミッションについて説明報告申し上げ、協力をお願いした。
李会長をはじめ、お会いさせて頂いた方の内3人が、ロータリー財団米山奨学生として、日本で学んだと聞き、ここでもビックリ、ポン!会長は茨城那珂湊RC、経済組長の蔡さんは西宮RC,秘書組長の林さんも大牟田RCの米山奨学生だったという。台湾で最難関の就職試験を通った方々が、日本人の奨学金で学び、現在台湾で大活躍していることに、感動した。
こうしたロータリークラブなどのネットワークをもっと青少年や高校生などの人的交流に活かせないものかと思った。
夜は、教育旅行に詳しい楊会長主催の懇談会。
台北でも特に人気店で予約が取れないと言われる台湾料理店にて、情報交換懇談の機会を得た。
今回同行した13名の訪問団が、一つの円卓を囲み、今後の海外戦略について意見交換するとても良い機会にもなった。
それにしても台湾料理は美味しかった。体重が気になる。(笑)
そう言う訳でもないが、食後、士林市場に散歩。腹ごなし!スケジュールぎっしりの中、21:00過ぎに街に出ると、そこで臼杵市のケーブルテレビの方などにバッタリお会いし、ビックリ!ポン。
たまたま、ハンコ屋があり、気に入ったのが見つかり、20分で印鑑を彫ってもらった。決済用ハンコに使おう!
1時間ほど、散歩してホテルに帰ると、宿泊ホテル一階のラウンジで前夜高雄市で懇談した日本交流協会高雄事務所の中村所長にバッタリで、ここでもビックリ、ポン!日本からの友人にお会いに台北に来たという。