11月 1日(日) すしの日、本格焼酎の日、自衛隊記念日、灯台記念日、くもりのち雨
今日は、「おおいた教育の日」。
県民皆で、教育の本質を考える日が制定されて、今年で11年目となる。
今日のスタートは、地元「八幡小学校開校140周年記念式典」からスタート。
柞原八幡宮や金谷迫の地福寺などで、農閑期の3から4ヶ月間、神官や僧侶による寺子屋教育が始まりだそうだ。お宮やお寺には、長い歴史があり、伝統がある。そうした教えに基づき、農閑期に子ども達に教育していた訳だ。
午後から聞いた講演でも「学校」はギリシャ語で、「スコーレ」が語源らしい。これは余暇、暇、遊びと言うことから来ている。つまり、農閑期に子どもたちは、お宮やお寺で遊びながら学び、永い歴史や伝統の教えを遊びながら身に着けていたようだ。
児童の発表も演劇や音楽発表だった。「平林」を何と読むか?をテーマにした演劇も色々な読み方があり、答えはないという視点がとてもおもしろかった。この様に、多様性が求められる時代に、この節目の記念行事の意義は、とても深く、有意義なものになったに違いない。
引き続き、「行きたい学校」「帰りたい家庭」「誇れる地域」づくりを目指し、皆さんとともに取り組んでいきたい。
午後からは、臼杵市民会館で開催された「おおいた教育の日」大会に出席。
佐伯市蒲江竹の浦河内出身 芥川賞作家小野正嗣さんの「読書で豊かなひとづくり」と題した、講演会を聞いてきた。
かなり前に、県立図書館での講演会に一般応募したが、抽選で漏れ、聞けずじまいだったので、楽しみにして行った。期待通りで、おもしろかった。
特に、「本を読むことの本質」について、他者の言葉によって、本の中の別の時空間世界に身を置き、結果、自分自身を見つめ直すというような話に共感した。昨日、ウィーンのトーマス館長が、「ヌーダ・べリタス」について、「手鏡を持つ女神は鑑賞者に自分の本当の姿を見極めよと問い掛けている」と、解説されたこととも繋がり、感動した。
そして、本を読まなくても、「地方」には、「話し言葉の文化」や「地域の先生」が、豊富に存在しており、本を読むことに等しい価値がある。と言っていた。そうした地域の文化や伝統、そして自然の中で不便でも普通に暮らす知恵を話し言葉で伝承することが大事との教えは、グローバルに通用するとも思った。(笑)
昨日今日と、私にとって、歴史的な人生の転換点となりそうなおもしろい日となった。