あそう栄作の“みんな、どげえかえ”

『慟哭の海峡』

  9月4日(金) くしの日、晴れ

 久々に太陽が顔を出した。空も高く、すっかり秋の空となった。
 今日は、午前中に県戦没者慰霊祭。他県では、8月15日に催行しているところも多いが、大分県は毎年、この時期だが、日にちは決まっていない。
 遺族代表追悼の言葉は、自身が生まれたばかりの時に父が戦死した遺族女性が行った。台湾とフィリピンの間の輸送船の墓場とされたバジ―海峡において、米潜水艦の攻撃を受け、撃沈されたそうだ。ここでは、10万人以上の日本人が犠牲になったとされている。
 その戦死したお父さんと一緒にその船に乗っていた独立歩兵第13連隊第2大隊通信兵中嶋秀次さんは、11日間のいかだでの漂流の後、奇跡的に助かったという。その中嶋さんと今日、追悼の言葉を述べた遺族女性は直接お会いして、当時の父の乗っていた船の最後の様子を聞いたらしい。このことは、門田隆将著『慟哭の海峡』に記されている。一度、じっくり読んでみたくなった。
 私も父方母方共の祖父が、フィリピンルソン島、中華民国三西省でそれぞれ戦死しているが、最後の様子は全く分からない。
 日本の軍事記録から大方でもよいから最後どの様な死を遂げたのか?知りたいものだ。
 遺族も皆、そう思っていることと思う。終戦から70年がたち、当事者意識も薄らぐなか、せめて遺族やその孫、ひ孫の世代に、自分のお爺ちゃんが、何処でどのような死を遂げたのか?逐一、お知らせすることが大事ではなかろうか?日本の記録がなければ、米側の公開公文書から探索することも可能ではなかろうか?その過程に於いて、平和の探求・追求の為の本質が見えてきそうだ。

プロフィール

Eisaku Aso

昭和37年1月20日生
自然派自由農業者
大分県議会議員
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